シュレディンガーのななふく

重ね合わせの中で生きる人のちょっと長い話

62|当事者の見る世界

以前、この記事を見たのに加え、何やかんやで発言したい欲が高まったので記事にしてみた。

 

@qoo_11さんのツイート: https://twitter.com/qoo_11/status/992736200946434048?s=09

 

前にも言ったように、私はLでもGでもBでも、厳密にTでもないが、性自認が不安定であるという特性があり、いわゆる性的マイノリティに分類される。

普段は30%(7割男性)~50%(中性)~80%(8割女性)くらいの性自認で揺れ動くことが多いが、しばしばそれを外れることもある。オスの身体であるため普段は男子学生として生活することが多いが、85%を超えるとそうもいかなくなる。違和感しか感じない。要はトランスジェンダーに近い状態になるのだ。

昨年の12月28日のことである。この日は所用で大阪に来ていたのだが、この日の性自認は異常だった。94%。これを前提として考えて欲しい。

非難を承知で言う。朝6時の御堂筋線に梅田から乗り込んだ。何も違和感はなかった。そこは女性専用車両だった。

降りる予定だった天王寺の直前で少し男性人格が優位になったのだろう、ここでようやくおかしなことに気づいた。

間違えて乗ったという感覚はなかった。自然な流れで、あたかも当然のようにである。もはやそこには身体の性の自認さえほとんどなかった。

同日、心斎橋のアメリカ村にも寄った。何もすることなくぶらぶら歩いていたら、キャッチがこう声をかけてきた。

 

「そこの『お兄さん』、寄って行きませんか?」

 

後ろを振り向いた。誰もいない。そしてこの『お兄さん』が私の事だと知った瞬間、猛烈な違和感となんとも言い表せない感情に襲われた。この時点の性自認も90%超えである。こんな感覚に襲われたのは初めてであった。

 

すべてのトランスジェンダーがこのような思いをしているのかと聞かれれば、必ずしもそうだとは言いきれない。当然といえば当然である。しかし、きっと似たような、あるいはそれ以上のつらい思いをする人も多いと思う。

 

そんな中で例が上がるのは冒頭で述べたトイレの問題。幸いなことに(?)この日は何故か夕方に男女兼用のトイレの付いたバスに乗り込むまでトイレにお世話になることはなかったが、もしこのような状況下でトイレを使うことになったら……。

先ほども述べたように、猛烈な違和感に襲われるため、身体の性別に合わせた行動はまずできない。かといって逆の選択をすると面倒なことになる(なぜか朝の御堂筋線の一件ではこのようなことにならなかったのが救いである)。では間を作ればいいという発想になるのだが、少し考えて欲しい。

 

現実の問題としてら少数派は迫害される。少なくとも、「こうすると浮く」とか「同じじゃないといじめられる」などといった考えを持つ人がほとんどだと思う。

性的マイノリティは特に迫害されることが多く、無意識のうちに生理的な嫌悪感を抱く人も多いのが現実である。性的マジョリティにとっては「意味がわからない」世界だからであろう。

今でさえその話に関してはオープンだが、自分が性的マイノリティの立場にあることを確信したのが昨年の11月頃で、その日を含め1ヶ月か2ヶ月は誰にも言えない時期があった。なけなしの友人を失うかもしれない、大学にいられなくなるほどの迫害を受けるかもしれない、といった恐怖感があったのだと思う。

しかし、私のようにオープンになれる人が全てでは当然、ない。直前に言ったような恐怖感に限らず、何らかの理由でオープンにできない人がほとんどだと思う。厳しい言い方にはなるが、その程度は言われなくても、少し考えるだけで気づいて欲しかったというのが正直なところである。

 

以上が私の実体験をもとに、私の立場から述べた意見である。実際、私の大学や近くの地下鉄駅では、多機能トイレを誰でも使えるトイレとして解放していることがある。現に、性自認が80%を超えたときには私も使うことがあるのだが、性的マイノリティ用のトイレとしての扱いにするより数万倍使いやすい。この対応が当たり前になって欲しいと切に願う。